ラ・ベラルドという村 
La Bérarde - haut lieu d'un alpinisme authentique


この村の名前を聞いたことのある人はよっぽど登山史に詳しいか、山好きだろう。フランス人でもほとんどの人はその名前を知らない。かくいう私ももちろん登山を始めるまで知らず、その名前を始めて聞いたのはおそらく新田次郎氏の著書「アルプスの谷 アルプスの村」の中でだったと思う。

「ラ・ベラルドという村は二十軒ほどの民家と、三軒の小さいホテルと、一軒の物売り屋と、夏だけしか開局されない局長兼局員一名の郵便局と、そして教会によって構成されていた。」

著者がアルプスを旅行されたのは1961年(昭和36年)であるが、上記のような村の様子は現在もあまり変わってはいない。フランスアルプスでは特にシャモニが登山のメッカとして知名度でも人気の上でも群を抜いており、シャモニが登山者、観光客で華やいでいるとしたら、ラ・ベラルドは静かで山深く、本当に山好きな、真のアルピニストだけが集まる地だと言える。

「ラ・ベラルドは金持の来る避暑地ではなかった。数人でなんとかかんとか金を工面して、自動車を一台借り受けて、それにキャンプ用具を乗せてやって来るか、安サラリーマンが家族連れで来て、一週間か十日、日光に当たって帰るところだった。ホテルに泊る客はそれぞれ、なにかしらの目的を持っている外国から来た人たちのようだった。」

1968年に冬季オリンピックが開かれたグルノーブルからバスで1時間、自転車競技ツール・ド・フランスで有名なブール・ドワザンという町に着く。この町を最後に銀行、薬局、郵便局等がなくなる。ここでマイクロバスに乗り換え、約30km、1時間かけてヴェネオンの谷を進んでいく。切り立った谷の側面に無理やり造ったような狭い道路では、対向車とすれ違うたびにスピードを落とし、ガードレールのない右の谷側ぎりぎりまでバスを寄せる。高所恐怖症でない人はラ・ベラルド行きバスでは進行方向右側の座席をお薦めする。対向車があるたびに谷底が窺えてスリル満点だ。そして山腹にへばり付くように点在する村をいくつかすぎるころやっと道の突き当たり、これ以上谷奥には人が住めないだろうと思う所にラ・ベラルドが見えてくる。

いつごろから人がこんな谷奥に入植したかは定かではないが、おそらく1800年代中ごろらしい。狩猟や牧畜が営まれていたが、1800年代後半になるとアルピニズムの波がエクラン山群にも押し寄せ、処女峰を求める英国人登山家がここベラルドにもやってくるようになる。ラ・ベラルドはエクラン(4102m)に最も近い人家のある場所だったのだ(エクラン初登攀は、マッターホルン初登攀で有名なウィンパーによって1865年6月25日に成された)。1900年代に入るとさらに登山者が増える。次第に村にはホテルや店が建つようになる。現在、村には食料品も売っている雑貨屋1件、レストラン1件、カフェ1件、ホテル・レストラン1件、民宿・レストラン1件、家具付貸シャレ2件、キャンプ場、フランス山岳会、ガイド事務所、山岳憲兵隊駐在所などがある。 7月にこの村を訪れたときは登山者やハイカーで溢れていた。だがこの村が賑うのも夏の間だけで、秋から春には無人村となる。

ここ10年登山者人口の減少もありラ・ベラルドは衰退の一途をたどっていたが、自治体によって駐車場の整備・拡張、村の中心広場の整備が進められている。そして登山者やエクラン国立公園への訪問者の誘致を積極的に行っている。それ以外にこの村が生き延びる術はないから・・・。

1900年代初めのころ 現在のラ・ベラルド
村の教会 メインストリート 
新田氏が泊ったホテル氷河は左の建物
村の更に奥へと続くヴェネオンの谷 7月17日の村のお祭り



 





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