シャモニ・ガイド組合とガイド祭り
Compagnie des Guides de Chamonix et sa fête des guides

毎年シャモニでは8月14日と15日にガイド祭りが行われ、夏の風物詩になっている。シャモニガイド組合に所属するガイドたちの伝統あるセレモニーを見ようと、この時期は大勢の人が詰めかけ、シャモニの谷は華やいだ雰囲気に包まれる。

このシャモニガイド組合は文字通りガイドの組合なのだが、日本人の中でもモン・ブラン登山等をするためにここにガイドの依頼をした人も少なくないことでしょう。ガイド登山の代名詞ともいえるシャモニガイド組合、その歴史は1821年にまでさかのぼる。
1820年、歴史的に有名な最初の山岳事故が起こる。アメル医師ら一行11人のグループがグラン・ミュエで立ち往生し、5人が雪崩に巻き込まれうち3人が死亡してしまう。この事故と、当時にわかガイドが横行してきたことは、本当のガイドとそのお客を守るための組織と規定の必要性をもたらした。
1821年7月24日ガイド組合が誕生、シャモニで生まれ育った46人のガイドが正式なガイドとしてその職に就いた。とともに、ガイドが就業中に怪我をしたり、死亡した場合の家族への経済援助を目的とした救済公庫の創設、料金体系、公平な仕事の割り当て規定等の基本的規範が定められた。
ガイド組合への雇用は親から子へ代々引き継がれ、今でもバルマ Balmat, パイヨ Payot, ラヴァネル Ravanel といった名が連ねられている。しかし組合がモン・ブラン山群でのガイド登山を独占していること、下品で無能力のガイドがいるとの客からの苦情、ガイドになるためにはシャモニ出身が条件、などの理由で組合に非難が集まった時期もあった。

1925年にはじめてのガイド祭りが催され、1930年になるとシャモニ出身ではないロジェ・フリゾン‐ロッシュ Roger Frison-Roche(作家としても有名)が雇用されたり、その後もガイドであり、アンナプルナ遠征隊にも参加したリオネル・テレイ Lionel Terray, ガストン・レビュッファ Gaston Rébuffat らの活躍により、シャモニガイド組合は更に威光を増していく。
現在は女性も含め約150人のガイドが所属し、うち約50%がシャモニ出身外だという。

上記のような歴史的背景から、ガイド祭りの主目的は怪我をしたガイド、死亡したガイドの家族への援助救済であり、毎年ボランティアやガイド以外の人たちもその運営を助けている。
2004年のプログラムを紹介してみると、

【8月14日】 
17時 : アルジャンティエール
アルジャンティエール墓地で、山で亡くなったガイド、アルピニスト達に献花と黙祷
教会前に移動し、すべてのガイドの名前が読み上げられる。
組合長クザビエ・シャパス Xavier Chapaz によるスピーチ、さらに山で亡くなったガイドへのオマージュ
今年の名誉ガイドの紹介(過去に活躍したガイドの中から1名毎年選ぶ)、今年はオーギュスト・バルマ Auguste Balmat (1808-1862)
コーラス
飲み物と簡単な食物のサービス(誰でも飲食できる)

19時 : ガイヤンの岩場
光のショーとガイドによるクライミングデモンストレーション、花火、コンサート
バーやレストランでは募金の呼びかけ

【8月15日】
8時30分 : シャモニ
ガイド一行がシャモニの墓地で、山で亡くなったガイド、アルピニスト達に献花と黙祷
墓地からサン・ミッシェル教会へ行進、途中ソシュールとバルマ像に献花
すべてのガイドの名前が読み上げられる。
組合長クザビエ・シャパス Xavier Chapaz によるスピーチ、さらに山で亡くなったガイドへのオマージュ
今年の名誉ガイドの紹介(過去に活躍したガイドの中から1名毎年選ぶ)、今年はオーギュスト・バルマ Auguste Balmat (1808-1862)
コーラス
新しくガイドになった新人と、その指導係ガイドが紹介される

ドミニク神父によるザイルとピッケルの洗礼
この地方の産物の試飲と試食、販売会

技術、知識、経験を積んだシャモニのガイドたちがこの地でガイドすることにいかに誇りを感じているかは、このガイド祭りに出席する彼らの表情から見て取れる。この小さなシャモニの谷からアルピニスムが誕生し、その精神と伝統がどう受け継がれて来たか、その一旦を垣間見た気がした。
シャモニーの墓地から教会へ向かう途中でソシュール、バルマ像に献花 ガイド達はひとりひとり名前が呼ばれ、教会前の階段に整列する


 





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