フランス山小屋事情 その1 Refuges 1ère partie
 
山小屋は高所登山に出発する基地となるばかりではなく、ハイキングの目的地としても重要な存在です。
管理人さんが常駐するのはたいてい夏の間だけですが、冬、春の山スキーの時期も常にアクセスができます。
そんな山小屋の歴史についてちょっと触れて見たいと思います。

1786年のモン・ブラン初登頂以来、人間が山頂を征服し始めてから山小屋は人が山に入ることを容易にし、そしてそれに伴って小屋の建設を促してきました。現在フランス国内でフランス山岳会所有の小屋は142、最高標高は3580m、うち77の小屋で管理人がおり、収容人数は8人の小さな小屋から172人収容の大山小屋まで様々。現存する最も古い山小屋は1910年にまでさかのぼります。

もともと山には神様が住むと思われていた日本とは違って、山の容姿の険しさからでしょう、ヨーロッパでは山に悪魔が住むと長いこと思われてきました。現在のように山が登山や憩いの場になる以前には、こうした迷信や厳しい気象条件のせいで、やむなく峠を越える人、水晶採り、猟師以外は人は山に入ることを避け、山中にはわずかに休憩小屋や救済院が存在するにすぎませんでした。しかし山に登るという行為が、アルピニスムとして確立され登山者が増えてくると、彼らはこれらの小屋を登山距離の短縮のため、荷物をデポするところとして使用するようになったのです。

1874年にフランス山岳会が設立されると、登山者に対するこうした避難場所の確保が進められ、岩陰に避難場所を造ったり、洞窟を利用したり、猟たちの小屋を整備していきました。こうして登山ルートが一般化されると、それは建設材料の運搬を可能にし、ここで初めて木の山小屋建設に至るのです。

1900年から1945年の間は登山者達の強い要望で、小さな山小屋の拡張化が図られます。そしてこの時期にはレマン湖から地中海に至る山域に約150の小屋が建てられました。ピレネー山脈では、夏の期間が長く、標高もアルプスほど高くはないこともあって、石の山小屋が建設されました。ですが資材の運搬には困難を極めました。木の山小屋は麓である程度組み立て運搬できる反面火災や嵐に弱く、石の山小屋では耐久性はあるが運搬に労力がかかるという、両者のメリット、デメリットが長い間比較された時期でもありました。

そして技術の進歩や1957年のヘリコプターによる新しい運搬方法により、鉄骨造りの山小屋建設も可能となり、人出の多い山域やルートにはより大型の小屋が建設されるようになりました。
今日ではフランス山岳会は国や地方自治体と協力し、順次山小屋の改築を進めており、太陽エネルギー、廃水の化学処理などの新しい技術が導入されています。

実際に山小屋のテラスに立って山を眺めながら、アルピニスムの歴史とともに歩んできた山小屋の歴史と、その建設に携わった人々の苦労、そして難登攀を成しえたアルピニスト達がここでどんな思いで夜を過ごし、早朝に出発したかに思いを馳せると、感慨深いものがあります。


山小屋へ物資を運ぶヘリ


 





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